正しいということ

「正しい」という言葉は、すごく胡散くさいと思います。
何が正しくて、何が正しくないか。どういう判定基準で、誰が判定するのか?しかもそれは、ずっと不変のものなのか?

「他人を不快にさせるのは正しくない」ということで意見が一致したとします。では、他人というのは誰のことでしょうか。他人とは、コメントを書かれた日記の管理人さんだとすると、管理人さんが書き込みを喜んで、また日記を書きたいと思うような書き込みは正しくて、管理人さんがイヤだと不快に思う書き込みは正しくないと判断できますね。読者がいくら面白くても管理人が不快なら正しくない訳です。逆に読者がいくら不快に思っても管理人が楽しければ正しいと言うことになりますね。

問題は、管理人さんが最初は面白いと思っていても途中からイヤだと思う場合は、それまで正しい事が途中から正しく無くなってしまうことです。そこが「正しい」という言葉が胡散くさいと思う理由の一つです。

関係のない人が、勝手に管理人さんが不快に思っている。または楽しんでいると判断して、正しいとか正しくないと決めつけることも「正しい」という言葉は胡散くさいなと思う理由のひとつです。
仲のいいカップルがイチャイチャしているのを見て、ほほえましいと思うか、不快に思うか様々だとは思いますが、混雑している交差点でいちゃついて動かないのは、迷惑だなと思います。これと同様に同じ書き込みを読んでも不快になる人と不快にならない人が居るわけですから、正しいとか正しくないとかバラバラの判断になります。

知り合いになった人と仲良くしているのを見て、自分は不快になった。他人(=自分)を不快にさせたのだから正しくないことをしている。と主張するのが正しいかどうか分かりませんが、コメントに書き込んでいる人は少なくとも正しい事をしていると信じて書き込んでいると思います。

正義の味方だから何をしてもイイ。わざと管理人が不快だと思うだろうという事をしてやろう。と言う感じが、匿名の人にはしますね。そうじゃなくてペンネームで痛い事を書いてくださる方は、そんなに不快に思う事は少ないです。自分の読解力の不足と、思っている事がきちんと伝えることができない力不足を痛感します。

正しいということは多数決では決められない事だと思います。そして結果で正しいか正しくないか判断される上に、環境とか条件が変わると判断が逆転するところが胡散くさいです。戦争なんかもお互いに自分が正しいと主張して譲らないから起こる訳で、しかも「正しい方が勝つ」のではなく、「勝った方が正しい」事になります。

ボキャブラリが貧困なのでうまく言えませんが、「正しい」と言う言葉は分かっている様で分からない言葉の一つです。

いつも、きちんと日記にコメントして頂いてありがとうございました。>>takさん