道徳の発達段階

コールバーグの道徳の発達段階というのがあるそうです。
発達段階の1は「親とか先生に叱られるから、(いやいや良い事をやる。又は悪いことをやらない)」
発達段階の2は「周りのみんなに誉められたいから、(進んで良い事をやる。悪い事をするのを止める)」
こんな感じで発達段階の5というのは理想的すぎて、実際にはあり得ない感じというか、聖人か神様のように世の中全てが見通せないとできないと思います。

道徳の授業も建前としての結論が分かっていて、やるからちっとも面白くない。ところがディベード術を学ぶための討論だと、面白いんですよね。とにかく徹底的に根拠を問いつめて、屁理屈でもいいから相手を言い負かす。そのためには、いろいろな事例や数字をきちんと調べておかなければいけない。相手を自分の土俵にひきずりこんで、相手の知らないことでおいつめる。よく考えると、いかに普段いい加減な前提で考えているかがわかります。当たり前だと思っていることが当たり前じゃない。

良いとか悪いとかていうこと自体、条件によってひっくり帰りますね。人を殺すのは悪い事だと思いますが、戦争中は、沢山敵を殺した人が英雄です。敵は自分たちを殺す悪いやつだ。悪い奴を殺すことによって自分達を救うのは良いことだ。という論理です。でも敵とは何か。敵の立場に立つと相手も同じ論理で動いてます。今はお金さえ儲ければ、何をしてもいい。法律なんか自分で決めた物ではないし、まして道徳なんて・・・。自己中すぎて、自分一人で生きているとでも思っているのでしょうね。

道徳とか倫理というのは絶対的なものではないです。あくまで社会というのがあって地理的歴史的要因にも影響されてできてきたものです。時代と共に変わる物です。それは無人島で一人で生活する人間には道徳が必要無いことを考えるとわかります。東洋では儒教の影響が大きい。それは支配者にとって都合がよかったからでしょうね。

地域というか宗教的タブーなのかな。肉食でも牛を食べちゃいけないヒンズーとか豚を食べてはいけないイスラムユダヤもありますよね。江戸時代は犬公方以来かな、四つ足を食べチャいけない。ウサギは1羽2羽と数えるのは、鳥ということにして食べたから。それが明治になって、すき焼きブームで牛は日本人の大好物、よしの屋の牛丼につながってるんですね。

道徳とは何かと思った人は、やはり「メノン」を読むべきですね。ますます混乱すること請け合いです。