恥の文化

Reiko_Katoさんの「羞恥心というもの」 (晴れの日もある2005/04/24)
http://www.mypress.jp/v2_writers/reiko_kato/story/?story_id=1016873

世間ではお尻にフリスクを入れることに幸せを感じる人もいるようなのだが、私はお尻とは出すところであって何かものを入れるところではないと思っている。たとえそれが薬でも。私にだって羞恥心というものがあるのだ。

「私はお尻とは出すところであって」・・・日本昔話の「お尻を出した子一等賞〜♪」を思い出してReikoさんのお尻なら見たいと思ったけど、ちょっと意味が違う。

「私にだって羞恥心というものがあるのだ」・・・Reikoさん、普段からそんなに恥だと思っているような事をされているの?ブログに赤裸々に告白することとか。自分の恥をさらけだしているという意識なんですか?それとも相方さんと二人きりの時はどんな恥ずかしいことでも平気だけど、それにも限度があるってことなのかな?前はいいけど後は駄目とか。いつも恥ばかりかいている6-30は悩んでしまいました。

 
高樹洸さんのWebColumnより、恥の文化と「恥ずかしいからダメ」 
http://homepage3.nifty.com/fwjd1945/column-2/2005-04-21.html

「恥ずかしいからダメ」の「恥ずかしい」まではいいんですが、「からダメ」が恥の文化の影響のように思われます。そもそも、二人で恥ずかしいことをするからいいんだし、不特定多数に恥をさらすわけじゃないんだから、なんて思う

「恥ずかしい」という羞恥心が余計そそるというか、恥ずかしいことをする二人は特別の仲だよというスパイスになりますね。

 
 
ここから先はエロ6-30モードで、女性の恥ずかしがることを強制する/されることに喜びを感じる、いわゆるエロ小説。特にお尻を中心にしたフ○○ス書院の○○彩雨文庫が本屋で山積みになっているのを見て、沢山の読者(変態予備軍)がいるんだなー。妄想でとどまればいいけど、6-30みたいに、ついお尻を出す所を妄想してしまうのはちょっとやばいかな。本屋でパラパラと立ち読みして、挿し絵だけで赤面しています。でもReikoさんのような羞恥心の持ち主がいないとこういうエロ話は成立しないよね。

 
中国旅行は激減しているけど、中国では大きい方のトイレが個室でなく長い溝を並んでまたぐ所とか、そもそも建物が無い所(オアシス)もありますね。天安門広場なんか側溝が3列くらいあって1メートルおきにある蓋を外せば簡易トイレ。屋外でずらっと1列にならんでお尻を出す訳です。何十万人も集まるから間に合わないよね。彩雨さんの本は中国では売れないだろうな。お尻を出すことを恥ずかしいと思わないのやから。