誰かのために

セックスより完全なもの
http://d.hatena.ne.jp/AyanoIchijo/20051009/p1

 誰かのために何かをすることって、素晴らしいような気がするけれども、そうではないと思うんだ。エゴっていうか。それをして、誰も喜んでくれなかったとしても別に気にならないというならいいけれど、相手が喜んでくれなかった時に、それが悲しかったり傷ついたり怒ったりストレスになるんだったらしないほうがいいとさえ思う。

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自分の行動の理由が、少なくとも彼本人の中で、「自分で選んだ」ではなく「外部要因(もしくは外部からの圧力)によって選ばされた」ことになっていて、そういう行動が一条はどうしても好きになれないのだ。以前浮気の理由で書いた、浮気はいいけどそれを旦那のせいにするな!浮気しようと思ったのも浮気をしたのも自分だろ!って話しと根本的には同じなんだけどね。

 

誰かのためにじゃなくて、自分のために−いや自己満足のためにするんだと思う。ボランティアだって、感謝されると嬉しいというか、自分が認められるからやっているんじゃないかな。人に親切にするならお返しを期待してはいけない。どうしても、お返しをしたいという人には「他の人に親切にしてあげて」と言えるようになりたい。6-30も落ち込んでいる時に助けてもらったことがあるから、そういう人の日記を見るとほっておけない。

 
多分「恋」と「愛」の違いもその辺にありそうな気がする。「恋」は自分を認めて欲しいという気持ちが強いけど「愛」は無償の愛もある。自分の行動に言い訳せずに、彼女の喜ぶ顔を見たいからプレゼントする。それだけでいいのではないかな。ルージュをプレゼントして、「少しずつ(キスして)返して」というのはちょっと問題やけど。6-30のあや乃さんへの気持ちは「恋」じゃなくて「愛」に近いかな。

 
元ヤン君の一条さんに対する気持ちは、「買ってあげたい」と「仕方なく」が半々に混ざっているように思う。というか本人もよく分かっていないのでは?最終的には買ってあげたのは本人の責任やから。後からつべこべ言ったり、ストレスを持つのはよくないという意見に大賛成。そやけどプレゼントしても喜んでもらえないのは、悲しいというか惨めになります。