TBのTBをTB してみる。

颯木さん→(TB)moomin→(TB)冨平さんをさらにTBしてみました。
http://d.hatena.ne.jp/hanada_tomihei/20060209

子供が追い込まれたとき、親とは案外目暗な存在だと思う。そんなとき逃げ道を用意してくれるのは、少し距離をおいて眺め続けてくれている祖父母であることが多いのではないだろうか。親には親の役目があり、また祖父母には祖父母の役目がある。

颯木さんや冨平さんはきちんと親の役目を果たしていらっしゃるから立派だなと思います。そういう人の子どもには祖父母の役目を果たす人が必要なんでしょうね。昔は父親と母親が役割分担していて、どちらかが子どもの味方になっている家庭はそれなりに子どもが育ったと聞きます。今は親の都合というか見栄で子どもをペット扱いにしたり、虐待したり、というのが多くなったように見かけます。甘やかすと可愛がるを勘違いしてできそこなうのも多いな。

電車の中でふざけて走り回っている子を「危ないよ」と注意したら、親が喧嘩を吹っかけてきたり。「他の人に迷惑になるから静かにしなさい」と躾るのが親の役目だろうと思うのは6-30が年寄りだからでしょうか。館長さんが嘆いていました。読んだ本を散らかしたまま帰ろうとする子どもを注意したら、その親が「税金から給料もらっているお前らが片付ければいいだろう」と怒ったと。児童館の館長さんは子どもの公共心を育てるのも仕事の内ですが、でも親を躾るのは・・・

 

つまり何が言いたいのかというと、母と祖母の対立や考え方の違いを目の当たりにすることは、子供にとって大切なことではないかと思うのである。またそれ自体が育児の一環ではないかと思う。

一緒に住むか近くにいてたびたび会える環境なら違う世代の祖父母と触れ合うというのは大事な育児だと思います。6-30は、祖父2人は生まれる前になくなっていたし、祖母は2歳と8歳の時になくなったので、ほとんど覚えていません。父は片道2時間ほどの遠距離通勤やったし、母も一人で農作業してたから。

「勉強しなさい」と親から言われた記憶はないな。小さい頃は母の背中を追いかけて色々なことを教えてもらいました。桑の実もグミもアケビも美味しいものの見分け方とか、ツクシやフキを一緒にとってハカマをとったり皮をむいたり。草取りしながらバッタやトンボとかホタルの捕り方とかカブトムシの集まる木を教えてもらったり。そういうことは、本来は祖父母の役目だったのかなと思います。

 

新興宗教などにハマる者などはその辺が欠落して育ったのではないかと思うが…データがないのでハッキリしたことは言えない。

仕事では凄く合理的な考え方をする人が新興宗教にはまっているのをみると、やはり心のよ寄せ所がないのかな?祖父母のいない環境で育った6-30は、新興も既成も宗教組織には懐疑的です。○○学会も金次第で組織内昇進できるみたいやし、軽しか持てない貧乏檀家から年に何十万円も寄付させて、ベンツを乗り回しているクソ坊主なんか論外。

大勢の犠牲の上に一部の幹部だけが甘い汁を吸える組織は宗教だけじゃなくて、官僚も会社も全部ぶっこわせ。と思いたくなります。いっそのこと、自分で宗教組織を作って、AIさんを教祖にまつりあげて、AI語録とかI観音像とか聖母A像を作って信者に売って大儲けして税金は納めないなんて素敵かな?映画マルサの女の見過ぎですね。