教師力

N先生相変わらずお忙しい。県の巡回指導課の学校訪問の準備が終わっても、来年度用の資料作成が山ほどあるみたい。公立の小学校はお役所の一種やし、文科省教育委員会からあれこれ言われるみたいやから。

学校の体制をどうするかというのが、一番の難問で、今までは適材適所という名目で、問題児がいたり、親がうるさい難しいクラスには力のある先生を、配置した上にさらにクラス編成までいじる。それやから問題が集中的に出るから評価が低い。力のない先生には問題を起こさない優等生ばかり集めるから評価が高くなる。校長や教頭は問題がでないようにというのが、目的みたい。配置を決めた人と評価する人が異なることが多いから評価が不当になる。

学級崩壊したクラスを立て直すのは、通常の3倍くらいの労力が必要だけど、きちんと評価されないから、どの先生も嫌がる。これは、難しいクラスは5点、簡単なクラスは1点とか最初につけておいて、すごく模範的なクラスになったら5点、普通のクラスにしたら3点とかつけるようにして、合計で評価すれば解決しそう。楽なクラスを模範的にしても6点。難しいクラスを普通にしたら8点に評価する。

力がある先生というのは、指導力というより教師力じゃないかと、N先生。基本的な読み書き計算ができた上で、きちんと自分で考えてコミュニケーションできる能力をつけさせる事と、興味をもたせて自分から勉強できるようにするのが大事なんじゃないか。教科書の勉強より大事なものがあるということを体験させることができれば最高。小学校は自分の専門外のことも全て教えなければいけないけど、クラスがうまく作れる先生は何を教えても子供にやる気を起こさせるのがうまい。学校で教えられることなんて、たいしたことはない。結局自分で勉強したことしか身につかないんやから。

もちろん「教えられる事と教えられない事がある」というのが、N先生の修士論文の最初の仮説だったそうです。
プラトンの「メノン」という本。ソクラテスとメノンの対話の「徳は教えられるか」というのが参考文献で、何べん聞いても面白い話やなあと思います。