報われた

エロスの1/15「報われた」
http://d.hatena.ne.jp/satsuki566/20050115#1105803502
この話を読んで、いろいろと思う事が多すぎてコメントに書ききれないので、こちらに書きます。
 
 颯木先生、苦労が報われてよかったですね。若いのにいい仕事をされたんだ。それを認めて貰えたのが最高。自然に涙が出てくるのも分かります。でもちょっぴり恥ずかしいのかな?他人から感謝されたり誉められると嬉しくなりますよね。

 
 6-30も若い頃にお客様の会社の社長に「あんた、間違ってる」とやった事があります。自分としてはその会社の為に最善と思われる方法を提案したのに拒否されて。でも半年後、その社長から「お前の言う事が正しかった」と言われた時は、とても嬉しかったです。そのあとは、すっかり信用されたみたいで6-30の提案は全て受け入れて貰えました。逆に責任を感じて、常にベストをめざして疲れましたが。ベターなら楽なのに。

 
 N先生から聞いた話だと、特殊学級というのも今は単なる知恵遅れだけではなく、自閉症とか情動不安定のような「コミュニケーション不適応症」とでもいうべき子どもが多くなっているそうです。学業の方は算数なんかは少人数学級で進度別に教える事で落ちこぼれを無くそうとしているとか。でも根本にはある年齢では全員がこれだけできなければいけないという日本社会の思想がありますよね。産業界の歯車には規格品の人間が便利やから。

子ども一人一人の発達の度合いは全てバラバラなのに、それを無視している。人間なんてそんなに差が有るものではないと思います。自閉症なども決して知能の発達が遅いのではなく、自分の想いを表現する方法が未発達なだけで、言葉で言えないから暴力的な手段で訴えたり拒否したりするのだと思います。今の世の中も相手の事を思いやる事もできないし、理解しようともしない人が増えているのは、教育だけの責任ではないと思います。

 
 若い時は、自分が正しいと思うと結論だけを説明して、相手を納得させる事ができない。経験が少ないから他の方法との損得を合理的に説明して、自分が何故その結論に達したか、それも相手の立場で考える事が必要やけど、それができない。しかも立場によって何がベストなのかが変わるという事も実感できない。教育というのは知識を詰め込むのでなく、自分で考えて生きていくにはどうするかという事を身につけさせるのが一番大事だなと思います。

 
 N先生は、特殊学級に対してすごく気をつかうそうです。イベントなんかあってもすぐ忘れられてしまう事が度々あったから。PC相手に資料作りに疲れると特殊学級に行って子どもにいやして貰うとか。N先生も小1の時は自閉症気味で、通知票はアヒルの行進(5段階評価で1,2,1,2)だったとか。6年生の時の担任の先生に言わせると「Nちゃんは人前で話せない子だったのに、先生になってやっていけるかなと思った」そうです。

それが今ではビシバシと、相手が校長先生でも間違った事をすると「いけません」とストップをかける。でも本質は特殊学級の中のようにマイペースでやっていくのが一番いいみたい。N先生は、未だに自閉症が残っているように感じます。そやから集中力があるというか、自分だけの世界の中に入って、絵手紙とか一枚の折り紙でバラの花を作ったりするのがお上手です。保健室登校の子なんかもマイペースにさせてくれるN先生には心を開くようです。

 
 転校先で担任に絵を破られて登校拒否になった子どもが、元の学校に越境通学で戻ってN先生が担任に。N先生なら登校拒否が治せると見込まれたらしい。その子が絵を仕上げる為に放課後も残っていたのを見てお母さんがビックリ。時々は遅くまで学校で友達と遊んでいても文句を言わなくなったとか。もっとも偏差値94の子やから、きっと学校が息抜きの場だったんでしょうね。そりゃN先生以外の担任にはいじめられるよな。

N先生がその子に怒ったのは、先生が黒板に間違った答えを書いた時、ノートに自分だけ正解を書いていたのを見つけて「コラッそういう時は『先生間違っています』と言うんだ。そうしないとみんな間違って覚えるだろう」。社会的動物である人間として正しいな。利己主義はよくない。その子は、クラスの全員で遊べるいろいろな遊びを考えたり、問題児を宥めるというか勉強を教えたり、N先生の方が助けてもらう事が多かったとか。でも卒業の時にその子の親から学校好きにしてくれてありがとうと、すごく感謝されたそうです。