あきらめるな、がんばれ

他人には平気で「頑張れ」と言っていたけれど、自分が「頑張れ」と言われると何か腹立たしくなることってありませんか?「詳しい状況も知らないのに、軽々しく頑張れと言いやがって。そんなに簡単にできることなら、とっくに頑張っているぜ」と。
ジッポさんの「活字中毒R。」
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20051031

たぶんそこには、「あきらめない」ことや「自分を信じる」ことや「人を信じる」ことは簡単なことではないから、苦しいことだから、たやすいことではないから、という前提があって、そういう難しいことだからこそ、やる価値があるのだ、というような考え方があるのだと思う。
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「あきらめるな」は他人に向かって言うことばではない。自分に向かって、黙ったまま言うことばだ。
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 この鷺沢さんの文章、僕の心には、とても強く響いてきました。誰かに「がんばれ」と言われたときに感じる、なんだか言葉にできない「違和感」みたいなものの正体はこれだったのか、というのを、あらためて思い知らされた気分です。
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 「あきらめない」っていうのは、そんなに立派なことなのか?
 他人に対して、偉そうに説教できるようなことなのか?

自分であきらめずに頑張った人は、自分自身を誉めてあげてもいいと思います。でも励ましのつもりで他人に「頑張れ」とか「あきらめるな」という人は無責任なんでしょうね。だって他人事だもの。あるいは自分はそれだけ頑張れないから、代わりに頑張って欲しいと言う願望があるのかもしれません。密かに心の中では失敗することを願っていることもあるかも。