子どものしつけ

mari先生の「ごめんなさい」
http://d.hatena.ne.jp/hibigen/20060713/p1

小さな男の子。採血をしようとしたら、「ごめんなさい、ごめんなさい」といって大粒の涙をぽろぽろとこぼした。
でも今回は、本当に胸が痛んだ。この子にとって、「痛いことをされる=自分が何か悪いことをしたんだ!=ごめんなさい」なのだ。そうじゃないんだよ、って言ってあげたい。けれどどんなに言葉を尽くしても、幼い彼には伝わらない。

外来をしていると、たまに「いい子にしてないと、先生に注射してもらうよ!」と子どもを叱るお母さんを見かける。こういう注意の仕方は百害あって一利なしだと思うのでやめていただきたい。

全くそのとおりです。子どもをきちんとしつけられない母親にこそ痛い注射するべきです。子どもも自分が悪いことをすると親が痛い目にあうとか悲しい顔になるということが理解できると思います。怖い人にしかられるから〜しないというのは道徳レベル=1段階。

Chdさんの「それは悪いことなのか」
http://d.hatena.ne.jp/chd/20060717#p1

小学生の5〜6年生の時の担任の先生は、「掃除というのは、みんなの教室を、気持ちよく使えるようにするためにするもの。一所懸命掃除をして、いつもきれいな教室だと、みんながいい気持ちになる」というようなことを繰り返し教えてくれた。掃除の時間でなくても、ゴミが落ちていれば拾い、整理・整頓に努めたものだ。そういうのを先生はよく見ていて、すぐに褒めてくれるので、ますます張り切って励むのだった。

中学生になったら、たとえば遅刻を繰り返す生徒に対して、「罰として何処そこの掃除を一週間!」などと言いつけるのを聞いて、びっくりし、また腹が立ったことを覚えている。掃除というのは、悪いことをした罰として、させられるものなのか!? 
と。だから掃除の時間にサボる生徒が続出するんだ。

褒められるのが嬉ししくて〜するというのは、道徳レベル=2段階。

 
三ねんせいさんの湖畔日記「「お医者さんに注射してもらうよ」と叱る親」
http://www.mypress.jp/v2_writers/hotori347/story/?story_id=1455089

痛い目にあわせる責任を他人に押しつける無責任も問題だが,医療について間違った考えを子どもに刷り込んでることが恐ろしい.
 
心の状態が身体の健康にも影響するなら,処罰だと思うか治療だと思うか,その違いは治療効果の違いとしても現れるのではなかろうか.医師を悩ませ我が子の治療も阻害する親が,許せない.

間違った常識が刷り込まれているのでしょうか。自分の考えをもっていない無責任さもそうですが、自分が子どもの時の事を忘れているような気もします。日本の道徳教育が本音と建前に分離していることと、日本の体制は上に行けばいくほど無責任になることが根本原因かな?それと子どもを一人の人間として扱わずペット化して、言うことを聞かないと邪魔にすることにもつながるのでしょうか。

 
Aikoさんの「しつけって。」
http://d.hatena.ne.jp/aiko-m/20051026

友達が「最近の小学校の先生はしつけをぜんぜんしてくれないんだよね〜」と
わけのわからんことを言い出したので、
みんなで説教したこともあります*3。
その子がおかしいんだと思ってたんですが、
最近そうじゃないことに気付きましたよ。
なんでいけないのか、説明できないまま人の親になってしまった方々が多いんですかねぇ。

しつけは親の責任だよね。学校の先生の仕事じゃないよね?今小学校の先生は親をどうしつけようかと悩んでいるそうです。子どもの方がよっぽど素直だし訳が分かっている。
日本人は本当の意味でのコミニュケーションもディベートもできないのです。相手の言うことをどこまで理解していますか?それによって自分の価値観を変更していますか?その反省を他の人に理解させることができますか?それがなぜいけないのかと説明するために必要なことなのです。